もうすぐ平成が終わります。
私は平成になってから夫と出会い、結婚しました。
そして平成の最後には別居して、もう戻ることはないと思います。
令和の時代は息子を社会に送り出すこと。
その役目が、私にはまだ残っています。
昨日あるブログで、ある母親の悩みを見ました。
「自分の子供はコミュニケーション能力が低いので社会に出れるか心配だ」
というものでした。
大学生の息子さんに将来を悩んでいるようでした。
あ、私と同じように悩んでいるママさんがいるのだと思いました。
わが家の場合、私が悩んでいるというより息子自身が自分はコミュニケーション能力が低いと、ずっと悲観していました。
雑談力を鍛えるなんていう本を買ってきて読んでいました。
そんな本を読んだからと言って雑談ができるようになるとは限らないのにと思っていました。
冗談を言いたい。
いつもみんなを笑わせて輪の中にいたい。
でもできない。
そんな葛藤もしていたようです。
私が冷静に息子を見ていると、コミュニケーション能力がないのではなくて、ただのくそ真面目だと思うのです。
くそがつくくらい真面目。
これは夫も同じでした。
これは持って生まれた性格なのでしょうがないのだと思います。
真面目で冗談が通じない。
そんなことから中高時代はよく、友達にいじられてきたようです。
それが強い子なら、平気でに乗り越えられたことが、乗り越えられずに心の傷として残っています。
自分の弱さも息子自身わかっています。
大学生になって、環境が変わって、息子は、とても積極的になってきました。
コミュニケーション能力をつけて、ちゃんと社会に出るんだと前向きな発言をするようになってきました。
息子さんを心配するママさんの記事を読んで感じました。
どんな親でも子供の行く末は心配なのです。
でも心配してもしょうがない。何の解決にもなりません。
子供の将来は、子供自身が切り開いていくしかないのだと思うのです。
それでも心配してしまうのが親というもの。