昨日の母の葬儀は、息子と娘と最寄り駅で待ち合わせをして、一緒に行きました。
前日から心配で、何度もラインを入れました。
「黒いスーツに黒ネクタイ、黒靴だよ?」
「わかった」
「〇〇駅に10時集合ね」
「わかった」
何をラインしても、返事はわかったという文字のみです。
だいたい黒いスーツなんて持っていただろうか?
ワイシャツはクシャクシャではないだろうか?
まさかスニーカーで来ないよね?
なんてことまで、心配してしまった。
いつまでも過保護な私です。
待ち合わせ時間に、息子は10分遅刻をしてきたけど、身なりはちゃんとしていたので、一安心。
22歳の大学3年生の息子は、私の心配をよそに成長していた。
お焼香もちゃんとやっていた(心配する方がおかしいのか)
そして、久しぶりに会ういとこたちと談笑していて、私には近寄ろうともしませんでした。
あれ?俺はコミュ障だなんて言ってたじゃない?
コミュ障どころか、楽しそうに話している現場を見ました。
(いとこたちはみんな年上ですが)
やっぱり息子は私から離れて正解だった
口を出し、手を出し、何もできない子に育てたのは私なのかもしれない。
気が付いてよかったと思います。
あのまま母子家庭を続けていたら、マザコンの塊のような男になっていたかもしれない。
ろくに話もせずに、じゃあね~と帰っていく息子をみて、ちょっと寂しい気持ちになりました。
母を失った寂しさと、私から離れて自立していく息子にたいしての寂しさと、二重の寂しさです。
だけど、私は決めました。
寂しいともつらいとも、弱音を吐かなかった母こそ、自立したおひとり様の老後をおくっていたのではないかと思うようになりました。
私も、すぐに誰かに頼る悪いくせは捨てて、自立したおひとり様の老後を目指したいです。