子供のために、なんでサッサと離婚しなかったの?
疑問です。
以前、そんなコメントをいただきました。
ブログに書けない事情もたくさんあります。 本当のこと、細かいことなど全然知らないくせに、よく人の人生の批判をしてくるなぁと思いました。 私の心の痛み、苦しみ、辛さ、わからないくせに、どんどん人の人生に入りこんでくる人、そんな友達もいました。
私の心の痛みと、毎日いろんなことに耐えて、がんばって生きていたこと。
子供たちは知っています。
子供たちだけでも、わかってくれているので、それでいいです。
最初に離婚したいと思ったのは、新婚旅行の時、
その後、娘が6か月の時、2歳の時、離婚話が具体化して、実家に帰っていたこともありました。
実家は自営業ということもあり、子連れの出戻りは歓迎されませんでした。 兄も結婚していたので、実家には、私たち親子の居場所はありませんでした。 両親に迷惑かけたくない、そんな気持ちで、もう一度頑張ってみようと、DV夫の元に帰りました。 しばらくはおとなしい夫も半年もすれば、またモラハラの塊のような人間に戻ります。
一か月に一回は、プチ家出をしていました。
実家に帰ったり、妹の所へ行ったり、友達の所へ行ったり
今思うと、たくさんの人に迷惑をかけてきました。
一時避難所や、ホテルに泊まったこともありました。
二泊ぐらいして帰ると、夫はおとなしくなっているので、出ていったり、帰ったり、その繰り返しでした。
男の子が生まれば、変わるかもの期待も見事に裏切られました。
17年前、DV夫が涙を見せた日
たぶん、夫は誰かに依存しないと生きていけない人間、アダルトチルドレンだったのだと思います。 夫は自分の父親に依存していました。
依存しながら、何かあったら父親にあたる生活をおくっていたのでしょう。
私にとって義父にあたるその人は、私によく言っていました。
年取ったら、変わるから、穏やかになるから、今は我慢してくれ、辛坊してくれと、
何回も頭を下げられました。
義父は、自分の息子が異常性格者であることは、一番よく知っていたのです。 その義父が亡くなってから、依存する人がいなくなり、モラハラ、DVはひどくなっていきました。
機能不全家族だったと聞いています。
先祖代々からの呪い?なんて思ったこともあります。
どちらにしても、遅かったかもしれないけれど、あの呪いの家から
私と息子は、逃げることができたのです。
今、離婚には応じてくれません。
離婚のためにたたかうエネルギーも今の私にはありません。
でも、必ずいつか終わりがきます。
今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。
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