息子の発達障害を疑ったのは、息子が中学生の時です。
「自分は他の子と違う、どこかおかしい、病院へ行きたい」と言い出したのは息子の方でした。
私は、その頃、初めて発達障害という言葉を知り、本を買って勉強しました。
自分は発達障害ではないそういう確信が欲しかった息子に、発達障害グレーゾーンの診断がくだりました。
病院の帰り道、悔しそうに靴を地面にたたきつけていた息子。
「なんで、普通に生んでくれなかった?」と私を責めました。
あの時は本当に辛かった・・・
その時息子は、その診断を受け入れることができずに、通院も投薬もしませんでした。
中学二年の頃の話です。
中二病も重なって、荒れていました。
その後、高校に入り、自分は発達障害かもしれないという不安を持ったまま、ビクビクして過ごしました。
このブログには、そんな時代のこともいろいろ書いてきたと思います。
コミュニケーション能力がないと悩んだ時もありました。
「嫌われる勇気」
「思考の現実化」などの本を読んで、自信をつけようと努力をしていました。
高校で友達はできたけれど、自分から離れて、卒業式にはひとりぼっちになっていました。
傷つくのが怖いから、友達が離れていくのが怖いから、自分から離れた、私にはそう見えました。
息子は発達障害だから、友達ができない
私はそう決めつけていました。
そして息子の将来が心配でした。
そして受験失敗、受験うつと悪夢のような日々が続きました。
悪夢は今年の春で、やっと終わりました。
大学に行っても友達ができないのではないか?
私はまたまたそんな心配をしていました。
息子は自分で乗り越えていました。
私は自分の言葉でも、息子を追い込んでいたと今、反省しています。
「あんたなんか産まなければよかった」
「お父さんにそっくりだね」
「お父さんの所へ帰りなよ」
息子は暴れて当然です。
暴れたくなるような言葉を私が言っていたから。
いくら悪夢のような日々でも、母親として言ってはいけない言葉だったと思います。
人から見れば、毒親です。
母親の言葉って、すごく重要だと思います。
母親の言葉がけで、子供はよくも悪くも変わっていくと思います。
私はそれがうまくできなかったけれど、息子は自分で乗り越えてくれました。
そしてこんな毒親を許してくれています。