お腹の痛み、悲しい過去。あなたに父親の資格はない!!

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今日は、肌寒い日でした。
梅雨時のこんな肌寒い日は、お腹の傷がシクシク痛みます。

 

私は、お腹を三回も切っています。子供三人、すべて帝王切開で産みました。

 

 

長女の時は、陣痛10時間以上苦しみ、もう疲れ切ってしまいました。
陣痛室というんでしたっけ?

3畳くらいのベッドしかない部屋で、一人苦しんだのを覚えています。

 

 

夫の付き添い
そんなものはありませんでした。

 

里帰り出産することを快く思っていなかった夫は、私が実家に実家に帰ってから音信不通でした。
大きなお腹を抱えて、一人で里帰りをしました。

 

出産予定日から、10日過ぎて、破水、入院は母が付き添ってくれました。
でも父と母は、食堂を経営していたので、仕事があるからと母は帰ってしまったのです。

 

そういうわけで、私は陣痛室で、10時間以上、一人で苦しみました。
陣痛促進剤を飲んだせい?
この世のものとは思えない痛みに、苦しみ悶えたのを覚えています。

それでも子宮口は開かず、帝王切開することになりました。

お腹を切る、それって手術ですので、家族の同意書が必要でした。
でも夫は来てくれませんでした。

 

母と妹が飛んできてくれました。
母が手術同意書に、サインしてくれました。

 

手術室に入る前、母と妹の顔を見て、安心して泣いてしまいました。

初めての手術は怖かったです。

帝王切開は、赤ちゃんのことを考えて、全身麻酔ではないのです。
腰から下の部分麻酔でした。

 

 

その注射を腰にうつのですが、それがすごく痛かった。
長女を生んだ24年前のこと、今も鮮明に覚えています。

 

 

オンギャーオンギャー、元気な泣き声が聞こえました。
私の目の前に、長女が連れてこられました。

 

涙があふれました。

 

夫は、生まれたと連絡してもすぐには来ませんでした。

 

三日後くらいにやっと来たのですが、信じられない言葉を発しました。

 

女はいらないから捨ててこい。

 

このような言葉を、夫の口から聞いた私は全身が凍り付きました。

 

波乱万丈の結婚生活のスタートでした。
夫は変わるかも、私の愛情で?、子供ができれば?

そんな期待もむなしく、地獄のような23年間でした。

 

 

二人目は生まれてすぐに亡くなりました。

 

その時は里帰り出産をすることなく、夫の元で産みました。
夫は付き添ってくれました。

 

でも生まれて30分もしないうちに、次女は天国に行ってしまいました。

その時の、夫の言葉。

 

女の子はいらないから、死んでくれてよかった。そういい笑いました。

 

女はいらないから捨ててこい

 

女はいらないから死んでくれてよかった。

 

そんな言葉を吐く父親がこの世にいますか?

(そういう配偶者を選んだのは私なんですが。)

男の子がほしい。

夫はずっとそう言ってました。

 

男の子が生まれれば、夫は変わるかも。
そう思い、もう一人産むことにしました。

 

息子が誕生した時、夫は涙を流して喜びました。
夫の涙を見たのは、それが最初で最後でした。

 

 

息子が生まれてから、しばらくは家族4人、幸せな時間はありました。

すぐにキレる、怖い夫でしたが、家族団らんの時間もそれなりにありました。

仕事がなくなり、収入激減で、夫は変わっていきました。

 

どんな時も、そして今でも、
女はいらない発言を、忘れることはできません。
そして許すこともできません。

 

 

人を、まして夫だった人を許せない許さないで生きていくのって、結構きついです。

許した方が楽になるという助言をしてくれたカウンセラーがいました。

 

自分のために、許せって。

でもなかなか許せないでいます。

 

長女が生まれた時のこと、次女が生まれた時のこと。
過去のブログに何回も書いたかもしれません。

 

その苦しみを書いても、苦しみを吐き出しても、許せない気持ちは変わりません。

今日は父の日でした。

夫に、あなたには父親の資格はないでしょと言ってやりたい一日でした。

 

最後まで読んでくださりありがとうございました。

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