
昨年の今ごろ、夫の納骨をしました。
一年に一回くらいは、三人でお墓参りに行こうねと、約束したけれど、その後二回は、息子と二人で行きました。
娘は、幼い子供を抱えて、育児、仕事、家事と疲れ果て、こちらに帰ってくる余裕はないようで、仕方ないです。
お彼岸には行きませんでした、夫の妹とのニアミスをさけるためです。
次回は、お盆かな。
SNSで、目にした言葉
一番寂しさを感じたのは、子供が家を出た時ではなく、子供から連絡が途絶えた時だという言葉を目にしました。
あ、私だけではないんだと、まず思いました。
子供が家を出た時も、寂しかったけれど、それよりも、連絡が途切れた時、とっても寂しくなりました。
子供が自立したのだから、喜ばしいことなのですが、親としての自分はもう必要なくなったんだと、心にすき間風がヒュウヒュウとふいていました。
昨年から娘には、突然距離を置かれ、私何かした?息子を溺愛した私をゆるしていない?等々、いろいろ勘繰って、とても苦しい時期がありました。
育児のことで、いろいろ相談してきた娘が距離を置き始めたのは、これが自立なのかも?という結論に達しました。
母親の私より、旦那さんと協力し合い、自分で乗り越えようとしている、それが最近やっとわかりました。
もう私の出る幕はないってこと、それでも孫守りの要請があったら、もちろん行くつもりでいます。
息子もそう、こちらから連絡しなければ、一か月以上音沙汰無しなんてこともしばしばです。
便りがないのは元気な証拠だと思うことにしています。
元気でいてくれれば、それでいい
SNSの言葉は、子供から音沙汰無しでも、元気でいてくれればそれでいいという言葉が続いていました。
本当にその通りだと思います。
自分は自分の人生を生きようと、やっと思えるようになりました。
孫の面倒をみるのが生きがいな女性。
孫がいなくても人生を楽しんでいる女性。
みんな同じじゃなくていいのだと思います。
