チェッカー歴17年、別れはいつだって寂しいもの

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今日も、ママ友が孫を連れて買い物に来ました。
元気~?お久しぶりなんて、少し話をしました。

仲良くなった清掃パートさんも、私のファンだと言ってくれた30代女性のお客様も買い物に来られて、ちょっと会話をして。
誰にも、私がもうすぐここをやめることを伝えませんでした。

チェッカー歴17年

レジを打ちながら、私この仕事が好きだったなとしみじみ思いました。

高校時代から20歳で就職するまでのバイトもスーパーのレジ。
昔はバーコードなんてなくて、一つ一つ手打ちしていました、そう考えるとすごい進化ですよね。

この3年を入れると、全部で20年、人生の三分の一の時間をレジ打ちしていたことになります。
パートに出たのは47歳の時、夫に内緒で始めました。

それまでは、かごの中の鳥状態で、内職をしていました。
内職って、どう頑張っても2,3万円しかいかなかったけれど、外で働くこと禁止されていたので仕方なく続けていました。
で、子供たちの学費の支払いがどうにもならなくて、内緒でパートに出ました。

数年はバレなかったと思う。
その頃は10時から14時までの時短だったからうまく立ち回りできました。

レジの仕事が好きなので、本当は続けたかった。
人間関係も良かったし。

時代の波にのまれた?

前職場と違って、常に大混雑の現職場、いつからかセルフレジが主流になっていました。
有人レジは3台で、それ以外はセルフレジのサポート業務となりました。

このサポート業務が苦手でした。

無払いで従業員の目を盗んで、逃げるお客様もいて、打ったふりをしてエコバッグに商品を入れるお客様もいます。
パトロール的なことをしながら、セルフレジの使い方がわからないと叫ぶお客様の対応をしたり、その場で臨機応変の対応が求められました。

残念ながら、64歳の脳には難しすぎました。

レジだけだったらできたのになーと思いつつ、今日も足がジンジンして痛みだしました。
いくらこの仕事が好きでも、身体も限界だったのだと思います。

よくしてくれた同僚たち、常連のお客様、二年前に続いて、また別れを経験します。
別れはいつだって寂しいです。

また新しい職場で、新しい人間関係を構築しなくてはならないでしょう。
また、一から仕切り直しです。

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