11年前の3月11日、夫は家族よりも家の心配をした。

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東日本大震災から11年、早いものです。

残念な世の中になっています。
ウクライナの小さな子供の悲しい目を何度も見ました。
この子供たちには、明るい未来が訪れますようにと祈るしかありません。

11年前の3月11日、みなさんにとってはどんな一日だったでしょうか。

私は、息子の小学校の教室で、個人面談をしていました。
(クリスチャンのまだ20代の若い先生は、今は教師をやめて牧師になっています。)
教室のテレビが落ちてきそうな激しい揺れ、私と先生は机の下に隠れましたが、大きな揺れは続く。

面談を中止し、校庭に出ると、子供たちが防災頭巾をかぶって丸くなっていました。
息子は?娘は?ととっさに心配になりスマホで電話してみると、電波障害なのかもう通じなくなっていました。

一足先に帰った息子が待つ家に、とにかく向かおうとしたけれど、バスも電車も止まってしまった。
タクシー乗り場には長蛇の列、そしてすごい渋滞。

津波警報が鳴り続けていて、これは大変なことがおこったと思ったものです。
私は歩いて帰ろうと決めたのだけど、当時足の指を骨折していてテーピングしていました。
(夫に突き飛ばされて小指を骨折)
人間必死になると痛みは忘れるものです、一時間かけて家にたどりつきました。

息子はこたつの中にもぐりこんで、無事でした。
仏壇の中のものが、落ちていたくらいで、倒れた家具は見当たらず、とりあえずホッとしました。

家族よりも家屋を心配した夫

家にたどり着くと、夫からの電話がなりました。

「おい!どこへ行っていたんだ!家は大丈夫か?」夫の第一声はこれでした。

まず家族の安否を確認するのが普通でしょうに、夫は家族よりも家屋が大事なんだとガッカリしました。

「家の周りを見てこい、壁は大丈夫か、屋根はなんともないか、確認してこい」そんなことばかり言い続けていました。

そんな夫と離れてよかったと心から思います。
そういえば、当時、私と娘は絶縁状態でした。

「私のことはいないと思ってほしい、お元気で」の言葉と共に、しばらく連絡はとれなくなっていたのです。
なので、当時18歳だった娘は、同じ横須賀にいながらも、一人で3月11日を過ごしたわけです。

貧乏で頼れない親を持ち、娘は自分でいろんな試練を乗り越えてきました。
絶縁状態は半年くらいだったと思うけれど、連絡がとれない期間はとても寂しかったです。

今後も何が起こるかわからない世の中だけど、恐れずにジタバタせずに、静かに暮らしていきたい。

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