座間の事件の影響で、いのちの電話に、悲痛な叫び、相談が殺到しているという記事を読みました。
ツイッターなどのSNSに、死にたいと書くのは、死にたいほどつらいことがある状況だということで、それを吐き出す場所もないという。
自分には、居場所がない。
自分は社会から必要とされていない。
そのように悩み苦しんだ時、若者は、ツイッターで死にたいと書くのかもしれません。
死にたいと言える場所。
悩みや苦しみを吐き出す場所が必要だと記者は書いていました。
過去にいじめなどの傷を持つものは、心に闇を抱えています。
苦しくて苦しくてたまらない。
自分は誰からも必要とされていない。
自分は誰からも愛されていない。
だから消えたいと、そこまで追い込まれている若者もたくさんいるのではないでしょうか。
息子、今日も弱音を吐きました。
息子は、死にたいとまでは言いません。
死ぬ勇気もないと思います。
でも自分を変えたい。
自分の人生を変えたい。
その気持ちは、人一倍あると思います。
そう思いながらも、些細なことでつまづいています。