貧困母子家庭の希望の星
日曜日、この記事に書いたMちゃんと、二人だけの送別会をしてきました。
去年の秋に、猛勉強のかいがあって、公務員試験に合格しました。
その時に、お祝いをしようねとずっと話していて、ずるずると半年たってしまいました。
スシローに行ってみたいというお願いをかなえてあげることにしました。
Mちゃんは、イクラが好きだと言い、イクラを3個も注文していました。
おいしそうにぱくついていました。
その後、近くのミスドで、コーヒーを飲みました。
とても安上がりな送別会になってしまいました。
いろんな話を、打ち明けてくれました。
職場では、話せなかったこと、いろいろです。
とても衝撃的な話でした。
Mちゃんは両親の不仲(DV)が原因で、児童養護施設に入ったと聞いていました。
でも、事実は違っていました。
職場での、噂というのは、あてにならないものです。
2歳の時に、乳児院に入れられて、一度は家庭に戻ったこともあったそうですが、
すぐに、今度は児童養護施設に入居れられてしまいました。
両親の不仲が原因では、ありませんでした。
Mちゃんのお母さんは未婚の母でした。
不倫の末に、シングルマザーとなる選択をしたのです。
父親と暮らした日々もあったそうですが、顔も覚えていないと話していました。
その後、父親は本妻の元に帰り、Mちゃんのお母さんは、病んでしまいました。
病名は書けませんが、精神的な病です。
シングルマザーとして、ひとりで育てていく決心をしたものの、病には勝てなかったのでしょう。 Mちゃんを児童養護施設に入れてしまいました。
病んでいる親に捨てられて・・・
それでもお母さんを恨んでいないとMちゃんは言いました。
強い子です。
両親がいなくても、自分の力で立ち上がり、22歳の今まで、一人で歩いてきたのです。
人並以上に、勉強し、大学では一番の成績をとったそうです。
成績が優秀だと、給付型の奨学金がいろいろあるようで、それをもらっていたということでした。
多額の奨学金を借りてしまったのかと心配していましたが、借りた奨学金は100万円ほどで済んだそうです。
貧困に喘ぐ、親に捨てられた子供たちには、最低限の援助はあります。
児童養護施設では、普通に幸せに暮らせたとMちゃんは言いました。
中には、グレてしまう子も何人かいるそうです。
児童養護施設は、18歳になったら、そこを出なくてはなりません。
18歳からは、自立しないとなりません。
Mちゃんは、成績が優秀ということで、特別に大学進学を許され、22歳までそこにいることができました。
Mちゃんは、その期待にこたえ、頑張りました。
いよいよ自立して一人暮らしをすることになったわけですが、
「お母さんとは暮らさないの」と聞いてしまいました。
「母は、嫌いではないけれど、好きではありません。
母の部屋はいつも煙草のにおいがします。
今は、一緒に暮らしたくないです。」と、Mちゃんは言いました。
Mちゃん、いつかは自分を捨てた母親を背負う覚悟もあるみたいです。
今でも、一か月に一回は会いに行くと話してました。
不倫の末に、シングルマザーとして生きる選択をしたMちゃんのお母さん。
母親として、子供を捨てるざるを得なかった心境はわかりません。
でもMちゃん、ちゃんと自立しました。
一人で強く生きてきたMちゃんを、私は応援し続けたいとおもいました。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。