今年の3月、たまたまこの記事を読みました。
貧乏という言葉に、すぐに反応してしまいます。
この記事は、細野議員のブログ記事への反論でした。
細野議員のブログも読んでみました。
そこには、貧困で苦しみながらも、自力で勉強して東大にすすんだ男子学生の記事があり、それも読んでみました。
その学生は、高校の修学旅行に行かなかったそうです。
行けなかったのではなく、自分で行かないことを選んだと書かれていました。
みんなが修学旅行に行っている間も勉強していたとのこと。
この学生は、貧困の連鎖を断ち切るために、自分自身で死にもの狂いで、勉強し合格を勝ち取ったのです。
その学生の気になった言葉、貧困は精神にも影響を与えるということです。
先日、息子から聞いた言葉を思い出しました。
書店で、高校生親子を見たそうで、その親は子供に、もっと買えもっと買えと、たくさん買うことをすすめ、何冊も買っていたそうです。
それを見た息子、自分はただの一冊でさえ、なかなか買えない、貧乏は悲しいと。
この親子のように、お金のある家庭の子供は、大学に行ってもいいと筆者は述べています。
自分のお金を、何に使おうと自由だからです。
貧乏人の馬鹿息子は大学に行かなくていい
このドキッとするフレーズの記事の内容は、貧乏家庭でも、優秀な学生に公費を使うのは良いが、バカな学生には公費を使うべきでないという意見でした。
貧乏人、そして馬鹿息子というフレーズは、なんだか差別用語に感じました。
貧乏人は、貧乏というだけで、バカにされてしまうのかとも思いました。
貧乏人は大学に行かなくてもいいという考えの方もいると思います。
確かに膨大な奨学金という借金を抱えることになりますから、その意見もわかります。
借金までしていく意味があるの?ってことですよね。
その一方で、大学へ行かないと、ろくな職業につけないという意見もあります。
高校卒ですと、やはり、どんな職業につくかという選択は狭まれてしまいます。
一番大事なのは、大学に進むということではなくて、その先のどんな職業につくかということだと思います。
大学に行けば、いい所に就職できる、それも間違いだと思います。
自分の天職をみつけること。
それが一番だと思います。
わが息子、志望大学、学科は決めています。
その後、どんな仕事につきたいかも、決めているようです。
貧困の連鎖を断ち切るべく、希望に燃えていた息子ですが、
落ちるかもしれない、そんな弱気の発言も出てきました。
母親として、私はもう、天命に任せるという気持ちでいます。
心配しても仕方がありません。
もうすぐ8月も終わります。
息子は、焦りだしました。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。