昨日の記事の続きになってしまいます。
友人の死が、とてもショックで、その友人の笑顔が頭から離れません。
悲しんでいても仕方ないんですけど・・・
友人のラインを見ました。
プロフィール画面は、娘さんの笑顔の写真でした。
それを見て、また涙が出てしまいます。
お母さんって、特別なんだと思います。自分を生んでくれた母親って、特別なんじゃないでしょうか。
生きていてほしかった。
どんな姿でもいいから、生きていてほしかった。
麻央さんのお子さんも友人の娘さんも、同じ思いだと思います。
どんな姿でもいいから、生きていてほしい。たとえ、寝たきりでも、眠ったままでも。母親っていうのは、存在だけでも、自分には欠かせないもの。
私の従弟が、言った言葉です。
従弟の母親、私にとっては叔母さんです。
(母の妹)
その叔母が、脳内出血で、3年前に倒れました。
その時に、もう意識はなく、回復も難しいだろうと言われていました。
自分で呼吸をするのも難しくなり、人工呼吸器をすすめられました。
医師からの説明は、唖然としました。
一度、人工呼吸器をつけたら、その呼吸器は、外せない。
このまま意識がないまま生きることになる。
それでもつけますか?
はっきり言ってしまうと、
このまま、安らかに旅立たせるか、植物人間として生かすのかということです。
親族で話し合って決めてください、
医師はそう告げました。
母と、そのほか妹二人、そして従弟で話し合いました。
母と叔母たちの意見は、こんな姿で生きていくのは可哀想だから、このまま安らかにでした。
でも最終的な結論は、一人息子である従弟が決めました。
どんな姿でも生きていてほしい。話せなくても、眠ったままでも生きていてほしい。
そう言い、人工呼吸器をつけること、そして胃ろうを付けることを希望しました。
その後、叔母さんは、意識がないまま、眠ったまま三年間生きています。
従弟は、私より3歳下の53歳。
一人息子です。
そして未婚で、子供もいません。
そんな姿で、生きていると言えるの?
私は、そんな思いをずっと、もっていました。
でも、今回のまだ若い友人の死や、麻央さんの死を目の当たりにして、わかったような気がしました。
従弟にとって、母親は、生きていくための希望なのかなって。
母がいなくなったら、自分も孤独死するんだなんて、悲しい言葉も言っていました。
今でも、毎日病院へ言って、眠ったままの母親のそばで、本を読むことが日課だそうです。
眠ったままの叔母さん。
ずいぶん前に、会いに行きましたが、髪の毛は真っ白になっていました。
生かされている。
そんな言葉がぴったりだと思いました。
眠ったままの叔母さんは、どういう気持ちなのだろう。
残念ながらそれは、永遠にわかりません。
最後まで読んでくださりありがとうございました。