一家の長子として生きた、母の人生



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 2016/02/09 に書いた記事 旧ブログより

施設に入るのも、ショートステイに行くのもあんなに嫌がっていた母が、コロッと態度を変えた理由がわかりました、
長子として生まれた母は、一家の先祖代々の家、家業を最期まで守りぬくことを決めてのことでした。

男子のいない家に、長女として生まれた母の人生は、長女としての責任に縛られた生活であったことを、
母がまだ、しっかりしていた時に聞いたことがあります。

母は、四人姉妹の長女で、母親(私のおばあちゃん)は16歳の時に亡くなっています。
長女として下の妹たちの面倒をみて、母親代わりをした青春時代。

そして、母も本当に好きな人と結婚はできませんでした。
(私も大失恋、好きな人とは結婚できませんでした)
母は、若いころに、好きな人がいて、バラの花束をもってプロポーズをされたそうです。

でも、母は自由にお嫁にいくことはできませんでした。
父親(私のおじいちゃん)は、婿養子を希望していたのでした。

相手は長男で、婿養子に来ることは無理でした。
駆け落ちをしよう!そう言われたそうです。

母は迷ったあげくに、その相手と別れました。
父親、妹たちを捨てられなかったからだと言っていました。

でもその時は、長女であることを嘆き苦しんだと言います。
そして、私の父とお見合い結婚しました。
父は、五人兄弟の末っ子でしたから、婿養子になれたのです。

父は真面目で、働きものでした。

うちの、食堂とお弁当やを継いで、お店をさらに、大きくしました。
私から見ても、働くのが趣味と言ってもいいくらい、仕事ばかりしていました。

母は、よくまじめすぎてつまらない人だと思うこともあったけど、こんなに働き者で真面目な人はいない、
お父さんと結婚して良かった、幸福だったと言っていました。

亡き父の壮絶な闘病

父の最期、K子(母の名前)ありがとうと言い、息を引き取りました。
父もまた幸福な人生だったのだと思います。

母と父は食堂、仕出し弁当やをしながら私たち兄妹を育ててくれました。
食べ物やでしたから、お店の台所には、いつもから揚げやらトンカツがありました。

高校時代のお弁当のおかずはよりどり好みでした。

今はその家業を兄夫婦が継いでいます。

母は父が亡きあとも、仏壇、お墓は大事にしていました。

でも、このまま高い家賃の貸家住まいを続け、先祖や父が残した財産を食いつぶしてしまう、
あとは、お嫁さんが精神的に限界を感じて、母と離れたいといったことなどの理由で、
母は施設に入る事を承諾しました。

最後まで、長子として生きる決意をしていたのだと思います。

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