シェルターに入らないという、選択

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DV夫の元から、脱出して一年が経ちました。
月日がたつのは、早いなぁ~と思います。

去年の1月頃、DV夫の暴れ方がひどく、私と息子は息子の部屋に避難をして、鍵をかけていました。
そして、1月末のある日、ドアを蹴り破り入ってきて、私に殴りかかってきました。

夫は別人になっていましたので、その時は、殺されると、思いました。
あの恐怖の夜は忘れることはできません。

警察に通報し、警官、刑事さん、生活安全課の方、数人がかけつけてくれたと思います。
事情聴取が、夫、息子、私三人別々に行われました。
私の身体のあざ、破壊された家具、ギザギザに引き裂かれた息子のかばんなどを見て、刑事さんは、今すぐ逃げて、シェルターに入ることを強くすすめてきました。

私は、首をたてにふることはできませんでした。
あともう少しで、息子が中学を卒業だったからです。

シェルターに入るということは、未成年、学生はもう学校に行けなくなります。
児童相談所の施設に入り、外部とは遮断されてしまうのです。

そういう詳しいことは、以前DV相談に行き、知っていました。
息子は、中学を卒業したい、知らない土地に行くのはいやだと言いました。

お母さん、がまんして、娘や息子に、そう言われて、私はがまんすることを選び続けました。

がまんがまんで、娘は高校を卒業させることが出来ました。
あとは、息子です。
もう少しのがまんだと思い、シェルターに入ることは断りました。

シェルターに入らないことを選択したために、後に、生活保護を受けることはできませんでした。
その後は貯金も底をつき、借金をして、大変な思いをしました。
まさに綱渡りの生活だったと思います。

でも結果的に生活保護を受けないでよかったと思っています。
やはり、人様の税金で、生きていくのには抵抗があります。

市役所に、何度も相談に行きました。
生活保護は、最終手段です。
行政は、いろいろな支援の道を教えてくれました。

一年たった今、私の息子は、貧乏ながらなんとか生活することが出来ています。
いろいろあった一年でした。
でも、逃げたことは正解でした。

将来のことを考えると不安ですが、考えないようにしています。
その日その日を、楽しく暮らせば・・・それでいいと思うようになりました。

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